「生きる」「朝のリレー」子どもの頃国語の教科書で必ずお世話になっている詩人・谷川俊太郎さんが亡くなりました。
この記事では
- 谷川俊太郎はなんで亡くなったの?
- 谷川俊太郎にはどんな作品があるの?
- 谷川俊太郎ってどんな人なんだろう?
こんな疑問に答えてまいります。
谷川俊太郎の死因は老衰 息子の谷川賢作がSNSで報告
谷川俊太郎さんは2024年11月13日午後10時頃、東京都杉並区内の病院で亡くなりました。
92歳でした。

ピアニストである息子の谷川賢作さんがSNSで報告しています。
父・谷川俊太郎が13(水)の夜に亡くなりました。92歳でした。
— 谷川賢作 (@tanikenn) November 18, 2024
私は中国からの公演の帰途についているところで間に合いませんでしたが、妹の志野が急遽NYCから駆けつけてくれて、娘と一緒に最後を看取ってくれました。穏やかな最後だったということです。
亡くなった際、賢作さんは中国での公演のため、間に合わなかったそうです。
谷川俊太郎さんの最期は賢作さんの妹さんと賢作さんの娘さんが看取ったとのことでした。
数多くの著名人・出版社が哀悼の意
谷川俊太郎さんの訃報を聞き、歌人の俵万智さんや元宇宙飛行士の山崎直子さんなどたくさんの著名人の方が哀悼の意を評しています。
#谷川俊太郎 さんの『二十億光年の孤独』に高校時代に出会い、心に沁みる詩で宇宙を表現されていることに衝撃を受けました。たくさんの優しい言葉で想像力を広げていただきました。哀悼を込めて…
— Naoko Yamazaki 山崎直子 (@Astro_Naoko) November 19, 2024
(写真は火星からみる地球 (c)NASA) pic.twitter.com/cuAGx8eV0H
また、新潮文庫や講談社文庫などの出版社、青年海外協力隊や国境なき医師団などの各団体からもメッセージが出されています。
谷川俊太郎さんご逝去の報に接し、心よりお悔やみ申し上げます。謹んで哀悼の意を表します。
— 国境なき医師団 (@MSFJapan) November 19, 2024
国境なき医師団では、谷川さんに寄せていただいた詩を、各地で開く「エンドレスジャーニー展」で展示しています。
谷川さんへの感謝の念を改めて込めつつ、ご紹介します。 #谷川俊太郎 #国境なき医師団 pic.twitter.com/VUIfmgbvm3
著名人に限らず、子どもの頃に谷川俊太郎さんの作品に触れたたくさんの人たちもそれぞれの思い出とともに俊太郎さんの死を悼んでいます。
プロフィールと経歴

ここからは詩人・谷川俊太郎さんのプロフィールとこれまでの経歴を解説していきます。
プロフィール
名前 | 谷川俊太郎 |
生年月日 | 1931年(昭和6年)12月15日 |
職業 | 詩人 翻訳家 絵本作家 脚本家 |
出身地 | 東京都杉並区 |
経歴
1931年12月15日 東京に生まれる
東京府豊多摩郡杉並町(現在の東京都杉並区)に生まれました。
父は哲学者で法政大学総長の谷川徹三であり、知的な家庭環境で育ちました。
1948年 高校在学中に詩作を開始
高校在学中に詩作を始め、同年に『文学界』に詩を発表しました。
この時期、父の知人である詩人三好達治との出会いが大きな影響を与えました。
1950年 『文学界』に「ネロ他五編」を掲載
詩作を本格化させ、父の影響を受けながらも独自のスタイルを模索しました。
月刊文芸雑誌『文学界』に「ネロ他五編」を掲載し、注目を集めました。
1952年 「二十億光年の孤独」を刊行
処女詩集『二十億光年の孤独』を刊行し、20歳でのデビュー作は後に日本の現代詩を代表する作品となりました。
この詩集は、彼の詩的世界観を形成する重要な作品です。
1960年代 60年安保闘争に参加
若手文化人たちと「若い日本の会」を結成し、60年安保に反対する運動に参加しました。
文学だけでなく、社会的な活動にも積極的に関わりました。
1962年 日本レコード大賞作詞賞を受賞
「月火水木金土日のうた」で第4回日本レコード大賞作詞賞を受賞しました。
音楽との関わりが深まり、詩が歌詞としても評価されるようになりました。
1964年 映画製作に関わり始める
市川崑監督の作品に脚本を提供し、映画界でもその才能を発揮しました。
特に『東京オリンピック』や『股旅』、『火の鳥』などの作品が評価されました。
1965年 絵本の執筆を開始
子ども向けの作品を通じて、幅広い世代に親しまれるようになりました。
彼の絵本は、詩的な表現と美しいイラストが特徴です。
1975年 日本翻訳文化賞を受賞
『マザー・グースのうた』で日本翻訳文化賞を受賞しました。
翻訳活動も活発に行い、特に子ども向けの翻訳が多くの読者に愛されました。
1983年 読売文学賞を受賞
『日々の地図』で読売文学賞を受賞しました。
詩作の幅が広がり、社会や人間関係についての深い洞察が評価されました。
1993年 萩原朔太郎賞を受賞
『世間知ラズ』で萩原朔太郎賞を受賞しました。
詩の内容がより実験的になり、彼の独自の視点が際立ちました。
2006年 毎日芸術賞を受賞
『シャガールと木の葉』で毎日芸術賞を受賞しました。
芸術全般に対する理解と愛情が作品に反映されています。
2010年 鮎川信夫賞を受賞
『トロムソコラージュ』で鮎川信夫賞を受賞しました。
詩の形式や内容において新しい試みを続け、常に進化を遂げる姿勢が評価されました。
2016年 三好達治賞を受賞
『詩に就いて』で三好達治賞を受賞しました。
詩作に対する真摯な姿勢と、言葉の力を再確認する作品となりました。
2024年11月13日 死去
92歳で老衰により死去しました。
生涯を通じて、詩、絵本、翻訳、脚本など多岐にわたる創作活動を行い、戦後日本を代表する詩人として国内外で高く評価されました。
俊太郎さんの作品は、親しみやすい言葉でありながら深い哲学的なテーマを扱い、多くの人々に影響を与え続けています。
俊太郎さんは、詩作だけでなく、社会運動や教育活動にも積極的に関わり、特に子どもたちとの関わりを大切にしていました。
彼の作品は、世代を超えて愛され続け、彼自身の言葉が多くの人々に希望や勇気を与えています。
「生きる」や「朝のリレー」が国語の教科書に掲載

谷川俊太郎さんといえばデビュー作の詩集『二十億光年の孤独』 や『定義』が有名です。
しかし、多くの人が最初に谷川俊太郎さんと出会うのは国語の教科書だったと思います。
教科書に掲載された作品の中でも、小学6年生の教科書に掲載されている「生きる」という詩は日常の中での生の瞬間を美しく描写し、私たちに生きることの意味を問いかける詩です。
子どもにも理解しやすく、大人が読んでも深い感慨を呼び起こすような詩になっています。
中学1年生の教科書に掲載されている「朝のリレー」という詩は、地球の異なる場所での朝の瞬間を描写し、常にどこかで朝が始まっていることを強調しています。
これは異なる文化や言語を持つ人々が同じ地球上で共存していることを示唆しており、互いに尊重し合いながら平和に生きることの重要性を訴えるような詩です。
このように国語の教科書に載ることで、世代を問わず谷川俊太郎という名前と心に刺さるキャッチーな詩が今も数多くの人たちの心に残っているのです。
翻訳家や絵本作家としても数多くの功績を残している

谷川俊太郎さんは詩人だけでなく翻訳家、絵本作家、脚本家、そして作詞家としても数多くの有名な作品を残しています。
その中には私たちが子どもの頃から知っているような有名は作品もたくさんあります。
翻訳家
50作品以上の翻訳をしており、特に子ども向けの絵本の翻訳が評価されています。
どれもすばらしい作品ばかりですが、特に有名な作品を紹介します。
「スイミー」(原作者:レオ・レオニ)
小さな黒い魚スイミーが仲間の魚たちと一緒に知恵を使って大きな魚から身を守る物語の絵本。
この物語は勇気や創造性、協力の大切さを教えてくれます。
「ピーナッツ」(原作者:チャールズ・M・シュルツ)
チャーリー・ブラウンやスヌーピーなどのキャラクターでおなじみの漫画。
日常の小さな出来事や子どもたちの心情をユーモラスに描き、友情や失敗、夢を追うことの大切さを伝えています。
シンプルながら深いメッセージが魅力です。
「あしながおじさん」(原作者:ジーン・ウェブスター)
孤児のジュディが、匿名の支援者「足長おじさん」から大学に通うための資金を受け取る物語。
ジュディが手紙を通じて自分の成長や日常を綴り、友情や愛、自己発見の旅を描いています。
この物語は、夢を追い求める勇気と、支え合う人々の存在の大切さを教えてくれます。
これらの作品は、子どもたちに向けたメッセージが込められており、俊太郎さんの翻訳によってその魅力が日本語でもしっかりと伝わっています。
絵本作家
谷川俊太郎さんの絵本作品は、子どもたちに向けた優しい言葉と深いメッセージが特徴で、絵本の中で詩的な表現を巧みに用いています。
特におすすめな絵本作品を3つ紹介します。
「もこ もこもこ」
彼の独特な詩的な感性と、元永定正のユニークなイラストが融合した作品です。
この絵本は、シンプルな言葉とリズミカルなフレーズで構成されており、0歳から楽しめる内容になっています。
「へいわとせんそう」

物語は、平和な世界と戦争の世界を対比させながら進行します。
シンプルでありながらも力強いメッセージを伝え、読者に考えさせる内容になっています。
平和な日常の中での幸せや、戦争によって失われるものの大きさが描かれており、子どもたちに平和の大切さや戦争の悲惨さを伝えるために書かれています。
「ともだち」
物語は、主人公が友達を求める様子から始まり、友達との出会いや別れ、そしてその中で育まれる絆が描かれています。
俊太郎さんの詩的な言葉が、友情の喜びや時には切なさを表現し、読者に共感を呼び起こします。
友情の大切さや人とのつながりをテーマにした心温まる作品です。
俊太郎さんの絵本作品は、子どもたちが自分自身や他者、そして社会について考えるきっかけを提供し、心豊かな成長を促すものだと思います。
脚本家
映画やテレビドラマの脚本を担当することもあり、有名な作品として『東京オリンピック』『股旅』『火の鳥』などがあります。
作詞家
谷川俊太郎さんが作詞した楽曲は多岐にわたり、特に子供向けの歌や合唱曲、アニメの主題歌などが多くあります。
以下に、彼が手がけた代表的な楽曲をいくつか紹介します。
- 「鉄腕アトム」 アニメ「鉄腕アトム」の主題歌
- 「世界の約束」 映画「ハウルの動く城」の主題歌
- 「春に」 合唱曲として有名
- 「死んだ男の残したものは」 様々なアーティストによってカバーされています。
- 「じゃあね」 合唱曲として有名
- 「いま 生きているということ」 生きることの喜びを歌った作品
- 「あげます」 日常の小さな幸せをテーマにしています。
- 「二十億光年の孤独」彼の詩集のタイトルにもなっているこの作品は、詩的な表現が際立つ楽曲です。
また、谷川俊太郎さんは小中学校や高校・大学の校歌の作詞も手掛けており、その数は全国で100校を超えています。
まとめ
いかがでしたでしょうか。この記事で解説したことをまとめると
- 谷川俊太郎さんは2024年11月13日に亡くなった
- 国語の教科書をきっかけに世代を問わず愛されている
- 谷川俊太郎さんは詩人だけでなく翻訳家や絵本作家としても有名作品を残している
谷川俊太郎さんは戦後の日本を代表する偉大な詩人として私たちの心にいつまでも残っていくでしょう。
谷川俊太郎さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。ありがとうございました。
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