2025年のNHK大河ドラマで横浜流星さんが
演じられる「蔦屋 重三郎」。
蔦重とよばれてる人ですが、
一体何をした人なの?蔦屋ってあのTSUTAYA?
この記事では、蔦重こと蔦屋重三郎についてみなさんの疑問を解決していきます。
希代のヒットメーカー「蔦屋重三郎」
蔦屋重三郎(以下、蔦重)は江戸時代の版元・地本問屋として大成功を収めた人物です。
蔦重が才能を見出し世に送り出した人物には現在でも有名な人物が多くいます。
- 浮世絵師 ・・・ 喜多川歌麿、東洲斎写楽
- 錦絵師 ・・・ 鳥居清長、歌川広重
- 読本作家 ・・・ 曲亭馬琴、十返舎一九
歴史の授業で習った人物ばかりですね。彼らの中には有名になる前に蔦重の家に居候していた人もいるということで、蔦重の「人の才能を、見抜く能力」は凄まじいものがあったことがわかります。
蔦屋重三郎の生い立ち
- 本名 喜多川珂理(きたがわからまる)
- 生年月日 寛延3年1月7日(1750年2月13日)
- 没年 寛政9年5月6日(1797年5月31日)
- 父 丸山重助
- 母 津与
- 通称 蔦重、蔦唐丸(狂歌名)
蔦屋重三郎は、1750年(寛延3年)に吉原(現在の東京都台東区千束)に生まれました。
幼少期に、吉原で茶屋を営んでいた喜多川氏の養子となります。
【成功と挫折】蔦屋重三郎の人生
20代:吉原細見の販売権獲得
吉原細見(よしわらさいけん:遊郭のガイドブック)を再編し、序文を有名作家に書いてもらうなど
プロデュース能力を発揮し始める。そして独自の店舗を構えるまでになります。
30代:喜多川歌麿や葛飾北斎とヒット作を連発
斬新なアイディアで様々な企画をプロデュースし、
洒落本、黄表紙、狂歌本、絵本、錦絵でヒット作を
連発します。
また、この頃に日本橋に店舗を移転し「耕書堂」を
出店しています。
40代:取り締まりで財産を失う
老中松平定信による「寛政の改革」の影響で蔦重の
出版物が取り締まりの対象になり摘発されます。
その結果、財産の半分を失ってしまいます。
蔦屋重三郎の最期 死因は脚気!?
財産を失いながらもめげずに出版業を続けていた蔦重ですが、1797年に47歳で亡くなりました。
死因は、当時「江戸わずらい」と呼ばれていた
脚気(かっけ)でした。
※江戸わずらい…当時の江戸では玄米に替わって白米が食べられており、玄米の胚芽部分に含まれるビタミンB1を摂取できずに脚気を発症する人が多くいました。
蔦屋重三郎の子孫はTSUTAYA?
CD・DVDやコミックレンタルの最大手、Tカードでもおなじみの「TSUTAYA」ですが、
創業者は増田宗昭という人物で、蔦重の子孫ではありません。
「TSUTAYA」という名前は増田氏の祖父が営んでいた事業の屋号「蔦屋」に由来しています。
ちなみに、蔦屋重三郎も本名ではなく養子先の喜多川氏の屋号に由来しています。
まとめ
- 蔦屋重三郎は江戸時代の出版界の成功者
- 「寛政の改革」で財産の半分を失う
- 脚気により47歳で死亡
- TSUTAYAとは無関係
横浜流星さんが演じる蔦屋重三郎。
豪華キャストも発表されています。
2025年のNHK大河ドラマ
「べらぼう ~蔦重栄華乃夢噺~」
今からとても楽しみです。
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